Google+ FFあんてな: 大杉漣さんの訃報

2018年2月22日木曜日

大杉漣さんの訃報

大杉漣さんが、急逝されました。

急な訃報に、見ていたTwitterのタイムラインがざわつきました。
突然のことだったようで、関係者の方々も呆然としている様子でした。

大杉漣さんは、「光のお父さん」のお父さん役を、ついこの前されていました。
私も毎週楽しみに拝見していました。

プレイしているFF14というゲーム。
それも、自分にとって「特別」な意味を持つそのゲームを題材にしたドラマ。
原作は、同じようにブログをされているマイディーさんの著書。
その、ドラマでした。



私は、ドラマ等を視聴するということを殆どしません。
十数年前から障害を患っていて、集中が続かないことが多いからです。

しかし、光のお父さんは視聴したかった。
それは、私にとってそのドラマが、奇跡のようなものだったからです。

最初にネットでその情報を知った時は、ガセだと思っていました。
しかし段々明らかになるに連れて、「本当のことなんだ」と現実味を帯びました。

ブログ発信の情報が、開発の目にとまり。
そして、映像化までされる。

それは、図らずも私がずっと追い求めて掴むことのできなかった「夢」であり。
とても眩しい「奇跡」でした。



奇跡。
文字にするととても簡素なものですが……。

奇跡っていうのは、起こらないものだと私は思っています。
起こらないから、おそらくそれは奇跡と定義されている。
そう、心の中で結論づけています。

しかし、紛れもなく「光のお父さん」はドラマ化され……。
放送を、されました。



眩しかった。
目がくらむほど、そのドラマは私にとって光り輝いていました。

大杉漣さんは、そのドラマの中心として出演されていました。

勿論、私と大杉さんは何の面識もありません。
私はスクエニの関係者でもなければ、ドラマの関係者でもありません。

しかし、放送されているドラマを見た時。
まるで自分のことのように嬉しかった。

嬉しかったのです。



FF14は、様々な人がプレイしています。
その中でも喜哀それぞれ、いろいろな意見が交錯している世界です。

それらすべてに、良し悪しはありません。
肯定も、否定も。
それらが絡み合って今のFF14を形作っていると、私は考えます。



私は、とても残酷なリアルを歩いています。
その逃避先として選んだのが、ネットでした。

せめてネットの中では。
素晴らしい、優しい毎日を送りたい。

笑いたい。

そう思って、今でもずっと活動をしています。

よく
「誰から言われたわけでもないんだから休もうよ」
とも、言われます。

しかし、私は休むのが怖い。
休むと、現実が押し寄せてくるからです。
その押し寄せた現実に、いつか殺されてしまう。
それが、怖くて怖くてたまらないのです。



FF14は、そんな私にとって特別な「場所」です。
私が「個」として存在することができる場所。

そこは造られた、電子の、ただのデータの集合体なのかもしれません。
顔も見えない、声も聞こえない相手と……という人もいるでしょう。

しかし確かに、このゲームの中では私は生きていることができる。

そんな、特別なものです。



だから。

「光のお父さん」が、様々な障害を乗り越えてドラマ化された。
放送された。

それが、本当に眩しかった。
信じられない奇跡だった。

他の誰かにとっては、「そんなこと」なのかもしれません。
しかし私にとってそれは、「光」でした。

大杉漣さんは、その作品に出演されていました。
「光のお父さん」でした。

役の上でも。
私にとっても。

あの方は紛れもない「光のお父さん」でした。



私は、綺麗な言葉で自分の気持ちを飾ろうとは思いません。
何か輝くエピソードを付随して、華を添えようとも思いません。

ただ、これだけは言葉にしたかった。

私にとって特別な存在。
FF14という場所。

そして、そこから生まれた奇跡の「光」……作品。
放送された、光のお父さんを演じてらした大杉漣さんの逝去。

それを受けて、私が何を感じ、何を思ったのか。
言葉にしたかった。



そう思って、この文章を書き始めました。
しかし、書けたことはただの事実の羅列でした。

空虚に流れた過去と。
光を演じてらっしゃった方が亡くなったという事実。

悲しいな。
悲しいな。

そればかりが先行して、言葉に出来ない。
ただそれしか、私には表現ができませんでした。



きっと。
きっとこれからも、FF14という時間は流れていきます。

喜哀こもごも、様々な意見が交錯し。
悪意、善意、それらがぶつかり合い。

何が正しくて、何が悪いのか。

それさえも分からない社会の中。
私達はそこに存在し続けるのでしょう。

同様に、私個人の残酷な現実は止まらず。
これからもおそらくそれは加速していき。
光は、更に遠ざかっていくのかもしれません。



それは大杉漣さんの逝去と、直接関係はありません。
影響で止まることもなければ、それにより進むわけでもありません。

変わらず時間は流れ。
変わらず私達は存在し続けなければいけません。



しかし、私は思います。
その流れていく、流れ続ける時間の中で。

奇跡の、「光」を演じてらっしゃった存在。
その存在が「在った」という事実。

それを私は、忘れたくないなと思うのです。

いずれ記憶は風化し、それでなくても頭から消えてしまうかもしれない。
この淡々と流れる時間の中で。
それでも、私にとって奇跡であり、光であったコトが起こった事実を。

演じていらっしゃった方の存在を。

忘れたくないと思います。



心の底から、ご冥福をお祈りいたします。

13

すべての光の戦士に、しあわせがありますように。
また、奇跡が起こりますように。

Gemmy Auora


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